JICA広報部との意見交換3回目
JICAからは広報部長 JICA地球ひろば所長 川淵貴代さん
JICA広報部地球ひろば推進課 課長 畔上智洋さん
JICA広報部地球ひろば推進課 主事 加藤有紀さん
前々回2024/1月の広報部との意見交換では竹田幸子部長でしたが、すぐにJICAインドネシア所長を拝命され春に異動となり、残念ながら、交流意見交換では1回しかお会いすることはできませんでした。しかし、今回、継続しての意見交換を行いたいという私たちからのお願いに、ありがたいことに、すぐに応えていただき、川淵貴代、新広報部長と交流を持つことができました。
竹田さんも、川淵さんもともにワーキングマザーで、学校現場の実態は、家族を通じてよく理解しておられます。エッセイやグローバル教育を通じて、学校現場や社会で生徒たちに多様な世界の今を教え、ともに生きる必要性を教師やNPOを通じて育てていくことは、「日本の未来にとっては極めて重要な使命」であることを共有しています。
グローバル教育にかんして、JICA広報部が関連する組織と課題を共有し支援していくことは重要です。教育を取り巻く現状は日本の国際化とともに大きな変化を続けています。今や、ほとんどの教室に外国籍のこどもが存在し、グローバル教育は欠かせない現状なのです。振り返れば、JICAが戦後移住事業団として移住を促進してきた中で、その政策に共鳴し、私たちのグループは学校の中で農業青年に移住勧奨を進めてきた歴史と実績があるからです。
新部長の川淵さんは公開されている経歴を参考にすると、2013年JICA中部で主に研修事業に携わり、2015年タイ、2018年フイリッピンの東南アジア地域において、地下鉄整備事業や、都市交通開発を経験し、2021年人事部においては、よりよい協力事業にするために異なる価値観の中で、革新的な新しい価値を生み出すパートナーシップを発展していける働き方改革を発信してきた方です。
意見交換の中でも、グローバル教育において、「教室に普通に多様な外国籍の人がいても自然な関係を作り出すことができるようなパートナーシップを築いていきたい」という気持ちを明らかにしてくれました。
課長の畦上さんも、学校現場で先生が困っている現状を共有しています。教材がない、教員研修でも出る感想は、すでに国内が国際化しているが、それにこたえることができていないのです。
エッセイも、応募がすこしづつ減少してきています。現場からは、エッセイや作文で書くことではなく、ディスカッション、やグループ発表のようなかたちの意見があるとのことで次の方向性も考えていきたいとのことでした。
エッセイコンテストは、「移住作文」から何が変わってきているのか?
私たちの前身「海外教育推進高校」の当時の呼びかけは
横浜移住資料館の資料「海外への道」には「居心地の良い確かな現在よりも、不確だが可能性の未来にいどむ」という心境が書かれていました。
私たちは、エッセイ改革にかんしては、今こそ原点を見つめ直す必要があると考えています。エッセイの原点のテーマは「移住作文」でした。
戦後海外移住が再開されたあと、農業独身青年の移住が盛んになり、その対象となる青少年に対し海外移住の正しい理解と発展を促すための教育の必要性が論じられるようになり、「海外協会」が海外に関心をもってクラブ活動などを行っている「農業高校」に対して「海外移住モデル農業高校」に指定され、それを受けて、農業高校において「移民勧奨教育」を行ってきたのが私たちの会の起源でもあるからです。
なぜ、当時の農業青年たちは海外移住に興味を持ったのか?さらに、移住を勧奨し、海外に出ていった生徒たちが、今どのような生活をし、どのような考えを持っているのか、とても知りたいのです。
1972年3月の海外移住事業団への投稿の中に私たちの前身である海外教育推進高校の稲垣実夫先生(都立瑞穂農芸高校)の長い論文を読んでみると、今でもそのまま通用する内容です。ここにヒントがあります。
(抜粋)われわれ日本人の頭の中には,外国というものは,一つの単数として捕えるという習慣が身についていた。最近国際交流が頻繁になり,多くの人種に接し,異なる風俗・習慣に接することにより地理的にはもちろんいろいろな点で異なる多くの外国があること,欧米以外に多くの国があること,欧米以外の国々を無視する傾向のあったこと,これらが誤りであったということを実感として理解するようになった。
人類共通の平和と繁栄とが相互理解,相互の尊重を基調とし,それぞれの国々の持つ特殊なものの伝統は互に尊重しあい,互助互恵,協調の精神の重要さに目覚めなければならない。
海外教育,すなわち他を知り,自らを知ることによる国際理解,視野の広い国民の育成,独善性からの脱却は,1970年代の目本の教育の一つの大きな柱とならねばならないと思う。
(抜粋)
永い歴史と伝統にうらづけられ,変えることを発展ということばでおき代えることにもそれなリの意味がある。しかし,未開の原野に足をおろし,近代技術・近代科学を現実に試みることは人間にとり若者にとっては夢であり希望である。
教材だけでは欠けるところがある。したがって北米,南米の国,特に目系人の活躍している状況をまとめた資料で配布し,指導の助けとなるような方法をとることが必要である。しかしせっかくの資料も指導者の関心如何により,成果に大きな差異を生ずことはいうまでもない。この意味で海外移往事業団主催の「全国高校海外教育指導教師連絡会議」は高校教師の海外への関心を高め,目を開かせる催しとしてはきわめて意義がある。
また,「海外教育推進高校教師海外研修」の意義は大きい。これにより海外における目系人の活躍を目のあたりに見ることにより,現地の認識を高めることは,迫力あることばとして指尊の成果をあげるものである。
エッセイはもともと「移住作文」から始まっているが、いまやその原点は忘れ去られています。稲垣先生が強調された、「未開の原野に足をおろし,近代技術・近代科学を現実に試みることは人間にとり若者にとっては夢であり希望である。」この気持ちは今はあるでしょうか。
JICAが移住事業団から、国際技術協力にハンドルをきったことで、学校側も、農業高校から、普通高校、工業高校、商業高校へと範囲を広げていきました、テーマもSDGsなどの国際的なテーマに広げられてきた、そこには、当時の日本の農業青年が、「未開の原野に足をおろし,近代技術・近代科学を現実に試みることは人間にとり若者にとっては夢であり希望であった」気持ちとは大きな格差ができているのではないだろうか。
つまり、自分自身の生活の苦難から抜け出し、チャレンジするという視点ではなく、今の豊かな日本社会から「世界の問題」を上から俯瞰するというエッセイ作文になっていないだろうか?
今こそ、過去の資料を調査し、何がどのように農業青年の心に刺さったのか明らかにする必要があるだろう。また、当時移住した人が移住事業団と私たちの勧奨事業の結果どのように移住を決心したか。二世、三世はいま何を考えているのか、明らかにしていくことは重要でしょう。
移住の逆に海外から還流してきている外国籍の人たちと「ともに生きる」日本をつくるには
今の日本社会は、当時、海外移住を目指した人たちの、二世、三世が逆に日本に還流してきている。それにプラスして、海外の人たちが日本の独特の文化に関心をよせ、集まってきています。ところが日本政府はいつまでも鎖国政策のように、移民はほとんど認めない。その中で、実習生制度のような、職業選択の自由もない制度を運用してきました。海外の送り出し機関に現地でお金を積み、がんじがらめにされた実習生が日本に来て、派遣された会社が自分に合わないとき、やめると帰国になるため我慢を重ねて働いているのだ、それだけが原因とは言い切れないが、派遣された会社から、逃げ出して闇で働いている人たちが多く存在している。最近、やっと「特定技能」という改革の機運は高まっているが、海外の送り出し機関の改革がない限り、根本的な改革は程遠いのではないでしょうか。もう一度、日本の農業青年が自から移住を決意し、現地で起こった苦難の歴史を、明らかにしていくことが、現実に日本へ還流している人たちとの気持ちの共有のきっかけにできるのではないかと考えています。
(文責 斉藤宏)