JICA国際協力機構とNPO法人全国国際教育協会(JAGE)の歴史
振り返ってみると、エッセイコンテストの歴史は古く、1962年に「海外移住懸賞作文」としてJICAの前身である「移住事業団」が始めたものです。始まった「海外移住懸賞作文」は名称の通り、戦後の日本は、経済の混乱の中で、農村の崩壊が進み、他国で富を形成し敷いては国際貢献に協力するため、未来にかけた青年たちに勧奨したのです。「海外移住懸賞作文」は戦後の移住の再開とともに、その後の国際化時代に向け、「わが国の海外移住はどうあるべきか」というタイトルが最初のものでした。
その後、1964年の新幹線開通や東京オリンピック開催を含め、世界に誇れる日本の技術向上とともに、自信をつけた日本の社会は高度成長、そしてバブルに向かっていきます。日本人の意識も多様化していきました。その流れに沿うように、コンテストのテーマに、「国際協力」や「途上国」といった言葉が見られるようになります。そして、現在の「エッセイコンテスト」という名称になったのは1990年のことです。コンテストは、常に、世界の様々な問題に目を向け、考え、行動するきっかけを、多くの中学生・高校生に提供してきました。
一方、NPO法人全国国際教育協会はその前身となる通称{高国教}全国高等学校国際教育研究協議会の歴史の中で、JICA前身の「移住事業団」とともに移住勧奨を行ってきました。その歴史は1964年に始まります。戦後の海外移住の再開のなかで、農業独身青年の移住が盛んになり、農業高校の教員を中心に、海外移住の正しい理解を促すため、教育の必要性が論じられるようになり、移住事業団からの資料の配布などを受けて、農業高校内で教師が勧奨を行ってきました。私たちは、これこそ、日本における「開発教育」の原点ではないかと考えています。その流れは、移住事業団が移住から、技術援助に重きをおき、現JICAに変遷していく中も、農業高校から普通高校へと範囲を広げて勧奨協力を行ってきました。
つまり、すでに60年を超える協力を行ってきているグループなのです。それだけに、JICAエッセイコンテストに関しての思いは強いものがあります。
このようにJICAとの連携を進めながら、全国各県において、JICAエッセイコンテストの周知、提出勧奨、授業や総合的な学習、探究活動を含めた学校活動の中で協力し、エッセイコンテストの審査においても協力してきました。
JICA広報部との意見交換は過去から
今回はJICA広報部からJICA広報部部長/JICA地球ひろば所長 竹田幸子氏
JICA広報部地球ひろば推進課 課長 畔上智洋氏
JICA広報部地球ひろば推進課 調査役 岩下奈未氏に、わざわざ出向いてもらい、前回zoom会議で意見交換した課題について、意見交換をさらに深めました。
JICA広報部との意見交換は、以前から行っていたものですが、昨今の教師の働き方改革やコロナ等による応募減少と昨年にわかに広がってきた生成AIの出現などを含め、その対応など今後も意見交換を定期的に行っていくための率直な意見交換となりました。
エッセイなんてたかが作文、たいしたことがないとお思いの方がいらっしゃると思いますが、実は未来の日本をどう変革していけるかは、生徒たちの未来にかかっており、生徒たちに、ほんの少しでも変容をもたらせればその積み重ねが日本の国際協力に変化を生み出すのです。エッセイを書くことは、生徒が自分と向き合い、地球社会のできごとを「他人事から」「自分ごと」にするきっかけにしてもらえることです。中学、高校生の時代から国際社会でおこっていることに立ち止まって思いを寄せることは、未来に向けて自分を成長させ変容をえるきっかけになると考えています。
もともと生徒はエッセイを書くことは嫌いです
アウトプットとしてエッセイを書くからには、何かしら調べ学びを得ると思います。そのためのきっかけを作るのが、ファシリテーターとしての教師の役目です。
ところがエッセイを書いてもらうのは大変なことなのです。作文嫌いは日本だけではなく世界的にも証明されているようです。
イギリスの例でも7-9年生(Key Stage3)の生徒の65%が書くことが好きではなく、57%の生徒が作文の授業が退屈、45%が自分の文章力に悲観的だったそうです。(NLT, 2009)。NLT(National Literacy Trust)
その状況で生徒に作文を書いてもらうには、モチベーションを高めるファシリテーターが必要なのです。そこが教師の役目なのですが、働き方改革でも問題になっているように、教師の仕事は増えるばかりで、うまく機能していない現実があります。学校内においても、エッセイを書いてもらうことを学年会、職員会に話を広げるためには、個人ではなかなか言い出せないものです。そこで、組織が必要なのです。なかまの先生とともに広げていくことでエッセイ勧奨は動き始めるのです。
エッセイコンテストはJICAの開発教育支援事業に含まれます
JICAはエッセイコンテストに加え、国際協力出前講座、国際理解教育セミナー、開発教育指導者研修、教師海外研修など、生徒たちだけでなく、ファシリテーターとなる教師の理解やモチベーション向上に貢献するべく、開発教育支援事業を行っています。
このなかでも出前講座は、オンラインツールの普及により、現地から出前講座を実施することも可能になりました。オンラインであれば、派遣中の海外協力隊員やJICA 在外事務所員、場合によっては現地の人とも一緒に話すことも可能です。生徒たちに現場の様子をリアルに体感してもらうことは、現地に行くことができない生徒たちにとっては大きな力を与えます。
今回意見交換した内容は以下です
(広)2022年に行われた政府の行政事業レビューにおいて、JICAのエッセイをはじめとする開発教育支援事業に対する必要性が評価され、今後も必要な改善を施しつつ積極的に推進していくべき、との評価を受けているが、コロナや教師の働き方改革の影響もあってか、エッセイの応募者数は残念ながら減少傾向にある。昨今、学校現場で探求学習が重視され、新しいタイプの他のコンテストも行われている中、現行の手法の改善も含め今後どうしたら活性化できるか考えている。
(JAGE)エッセイ形式ではなく発表形式の場にするのもよいが書くことも重要である。ある時、本当に目立たない発言しない子がクラスにいたが、エッセイを宿題にすると一人でコツコツと書きその文章を見て透明な内容で驚いた、結果JICA賞を取ったことがあった。発言だけでなく書くことが必要、文字で向き合う関係も必要だと思った。
(JAGE)国際理解教育を進めることは、総合的な学習や探求学習が広がっているが、以前に比べれば特別感はなくなってきているが、やはり指導する教師の負担が大きいと感じる。
〈広〉開発教育支援事業では、世界と途上国の課題を知り、日本との繋がりを理解し、課題解決に向けて自ら考えて行動する人材という意味で、海外で活躍する人材の育成だけを目的としている訳ではない。その意味で、文科省が定める教育指導要領にある「持続可能な社会の創り手」の育成というのはまさにJICAが目指しているもの。そのため、エッセイのテーマに関し、海外経験がなくとも取り組めるよう広めに設定し、SDGsなど身近な取り組みをテーマに設定可能である旨、例示しつつ補足説明を加えている。この点が、逆に生徒さんたちにとっては取り組みにくくなっている可能性もある。
(JAGE)地球に生きる私たち -未来へつなげるために-とはなっているのですが、そのあとに周りの外国人、動物や植物のこと、災害のこと、紛争のこと、SDGsのこと食べ物や服のこととあらゆる要素をいれてあり、なんでもありで焦点が絞れない。もっと具体的に毎年変えていったほうが新しい参加者や新しい興味がわいてくるのではないだろうか。もっと具体的に書きやすくする必要があるのではないか。
例えば、エッセイの初期1960年代は変化する社会とともに毎年具体的なテーマを出していた。
1966年は「フロンティアにいどもう」 次の年は「世界の中の日本人」という具合でその時の社会を反映したタイトルにしていた。
(JAGE)海外研修に行って実際にかかわらないとよい作品は書けないように見えるが、いまや日本には300万人以上の外国人が住んでいる。すぐそばにいる身近な外国人とどう生きていくか、多文化共生についての具体的なテーマも面白い。
(JAGE)農業高校、商業高校、工業高校など研究発表のタイプで問題解決型のものに行動が伴った感動的なものがある。提出してよいことも記述しておくといいのでは。
(広)今年度も研究発表を題材にしたエッセイも多く見られ、内容も興味深いものが多い。事実、昨年度の受賞作品の中にも農業高校生の作品が含まれていた。研究発表系ももちろんエッセイの対象と考えている。
(JAGE)エッセイの勧奨を熱く進めてくれる教師の育成が必要。結局生徒は勧奨する教師側が熱く背中を押してやる必要がある、しかし、学校の中で一人の教師の力は弱い。勧奨活動を進めてもらうには、その人を支えていく組織的なつながりがかかせない。
これまでにJAGEとしてJICAに提案した改善案は以下のとおり。
・生成AIの活用に関して
(今後も進化を続ける可能性が高く、検索等の参考として利用した場合は自己申告が必要なのでは)
・PCでの作品提出について
(原稿用紙だけでなくスタイルを決めA4レポート形式での提出も考える時期)
・筆圧について
(鉛筆書きの原稿が筆圧が弱く読めない作品もあり、さらに注意喚起する必要がある)
・個人情報の扱いについて
(作品の中に個人名などが入らないようにさらに注意喚起する必要がある。)
報告 斉藤宏