高井氏の講演の後半もユーチューブにまとめました
移住の歴史のなかで、日本人はなぜ移住を選んだかが疑問でした。歴史的にみると、定住としての移住は戦後の政府の方針で、明治時代から第2次大戦前までは出稼ぎ労働が目的だったことがわかってきました。
戦前の移住者たちは崩壊した村落からの脱出が目的だったのではないか
その出稼ぎ労働にしても、入会地、里山の崩壊から、自然の中で豊かに生きていた村落の住民が、キリシタン弾圧や地租改正、恐慌などの政府の失政により崩壊した村落からの脱出なのかもしれません。
グローバルな世界を目指すことは、青年海外協力隊に志願する青年たちと似ているのではと考えていましたが、違うことに気がつきました。戦前の移住者たちは、日本を飛び出すしか道はなかったのだろうと理解できました。
私たちのグループが戦後ですが移住事業に関与したのは、広い世界に夢をもって出ていく農業青年を支援したという認識でしたが、移住者たちの現実を見たり聞いたりすると、その功罪も考えてしまいます。
それでも、左の書、「居心地の良い確かな現在よりも不確かだが可能性の未来に挑む」この気持ちだったのだろうなと考えてしまいます。
課題解決の道は、「多文化共生」への多様な支援
いま、必要なのは、外国人への日本語教育、交流事業など多文化共生を広めていくことで、神奈川県のいちょう団地や群馬県の大泉で起こっている課題解決こそがやるべきことなのだとわかってきました。(報告 斉藤宏)
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