2018年(平成30年)8月7日(火)から10日(金)まで、JAGE(NPO法人全国国際教育協会)の豊田岩男、高田幸一、関正幸の3名、JICE(一般財団法人日本国際協力センター)の増野雄一、香取菲の2名、計5名(団長豊田氏)は、中国の江蘇省を訪問し、歴史や名所旧跡について実地見聞を広めるとともに、江蘇省と日本とのこれまでの人的交流経過を確かめつつ、今後一層の交流と相互理解を推進するために意見交換を行った。
以下、第一部で、増野さんと香取さんが中心になって計画してくれた旅行日程をもとに、実際の旅行がどのように行われたかを報告し、第二部で、いくつかの主題について項目別に報告する。
第一部 旅行日程の実際
8月7日(火)
・東京・羽田空港出発 8:40 MU576便 中国東方航空
JICEの山野理事長が見送りしてくださった。
・上海・浦東空港着 10:10(現地時間 時差が1時間なので、日本時間では、11:10に相当する。正味飛行時間は2時間30分。以下、現地時間表示)
・空港には、呉さんが出迎えてくださっていた。傭上バス(以下同じ)で上海市内に向かう。呉さんがガイド役を担当してくださるとのこと。昼食。
・バスで上海旧租界地に行き、地域一帯を見物、散策。
租界(そかい)とは、清国(のちに中華民国)内の外国人居留地である。阿片戦争後の1840年代以降、不平等条約により中国大陸各地の条約港に設けられた。行政自治権や治外法権をもつ。(Wikipedia)
・バスで蘇州市へ向かう。車窓から目にする景色や、蘇州の歴史などについて説明を受けた。
・蘇州市の古運河の遊覧船発着場―「山塘河」と呼ばれている地区―に17:50頃、到着した。私たち5人と呉さんの6人で遊覧船に乗り込んで、夕焼けに染まる運河と両岸の家並み、街路を行き交う人々の姿などを眺め、楽しんだ。18:20頃遊覧を終えた。
・船を下りてほど近く、「蘇州山塘街」で、21:00まで夕食。
・バスで宿泊先のホテルへ向かう。21:40頃到着。
ホテルは、パンパシフィック蘇州ホテル。ホテルが用意しているガイドブックには、
蘇州市滄浪区新市路259と記されていた。各部屋に分かれて、就寝。
8月8日(水)
・7:00 モーニングコール。朝食。
・ホテル出発、8:30。バスで留園に向かう。9:00~9:45 留園見学、鑑賞。明の万暦時代に創建された当時は私家庭園の東園であった。園にある冠雲峰と名づけられている太湖石は高さ6.5㍍、重さ6㌧あるとのこと。この太湖石は太湖から産出した石灰岩の奇石。
・9:50~10:30 もともとは東園に対する西園であった庭園を仏教寺院にしたという西園寺見学。正式名称は、勅賜西園戒幢律寺。大雄宝殿、観音殿、羅漢堂、鐘楼、鼓楼などで構成されている。
・バスで蘇州駅に向けて出発。10:50、蘇州駅到着。11:27蘇州駅発の高速鉄道、G7010和諧号で南京駅に向かう。12:45南京駅到着。扈さん、王さん、薜さんの三方が出迎えてくださった。
・昼食。14:40店を出て、バスで六朝博物館に向かう。
・六朝博物館見学15:00~16:30。丁寧に案内、説明、通訳をしていただいた。
・六朝(りくちょう)は、中国史上で建康(建業)に都をおいた、三国時代の呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳の総称。呉の滅亡(280年)から東晋の成立(317年)までの時代を含め、この時代(222年 – 589年)を六朝時代(りくちょうじだい)とも呼び、この時期の文化を特に六朝文化(りくちょうぶんか)と称することもある。(Wikipedia)
・博物館を出て、バスで、ホテルに向かう。17:10ホテル、双門楼賓館着。
南京市虎踞北路185号に位置する。チェックイン後、各自部屋で過ごす。
・18:25ホテルロビーに集合して、至近距離にある江蘇省人民対外友好協会へ向かう。
友好協会副会長蔡錫生氏の出迎えを受けて、友好協会主催懇親会。蔡氏あいさつ、豊田氏あいさつの後、会食と懇談、18:30~20:30。
・20:35頃、ホテル帰着。各自部屋へ。
8月9日(木)
・7:00~朝食。
・8:25、ロビー集合。8:30 バスでホテル出発。江蘇省教育庁へ向かう。
・江蘇省教育庁訪問。教育庁側は、国際合作与交流処副処長施蘊玉氏、国際合作与港澳台交流部部長王小丹氏、もう一方の三方が応対。我方は、NPOとJICEの5人。
8:55~10:35、施氏あいさつ、豊田氏あいさつに続き会談。意見、情報等交換。
玄関ホールで記念写真を撮ったあと、辞去。
・バスで、明孝陵、中山陵見学に向かう。途中、12:00~13:05 昼食。
・14:10頃、明孝陵入口に到着。香取さんが用意してくださった資料には、「中国南京玄武区にある明の太祖洪武帝朱元璋と后妃の陵墓」(Wikipedia)とある。
・16:05頃、明孝陵を出発して、バスで、隣接する中山陵へ向かう。隣接すると言っても、バスで30分ほどかかって、16:35頃、中山陵に到着。
中山陵は、これも香取さんの用意してくださった資料によれば、「中華人民共和国江蘇省南京市玄武区の紫金山に位置する孫中山(孫文)の陵墓。1926年から1929年にかけて建設された」(同上)とある。17:30まで見学時間をとった。
・17:00、中山陵を出て、バスで、南京市内に向かった。18:20~20:25 夕食。
・バスで双門楼賓館到着、20:40。明朝は、6:10にロビー待ち合せとして、各自部屋へ。
8月10日(金)
・6:10 ホテルロビー集合。
・6:25 バスで、ホテル出発。6:40 南京駅着。
・南京駅発7:00―上海駅着8:40予定の高速鉄道G7001和諧号に乗車。車中で朝食(弁当)。8:50上海駅到着。ここで、ガイド担当の薜さんと別れた。
・上海駅発9:10の路線バス(リムジンバス)で、浦東空港に向かう。10:30空港着。
・上海・浦東空港発14:00(東京時間では15:00 以下同じ)のMU539便 中国東方航空で東京・羽田に向かう。羽田空港に、17:30無事到着。
・羽田空港で、我々5人は解散した。
第二部 主題別報告
今回の旅行では、ガイド役を担当してくださった呉さん、扈さんたちの説明で教えられることが多かった。(1)は、それをもとに、他の検索資料を交えて報告する。(2)は、8月9日の江蘇省教育庁訪問の際の会談、意見交換の概要である。
(1)蘇州について
蘇州と聞けば、率直に言って、筆者がまず思い起こすのは「蘇州夜曲」である。
人によっては、「無錫旅情」であろうか。ちなみに、香取さんは、江蘇省無錫県の出身だという。今回訪問して、蘇州の歴史の一端をこの目で確かめることができたことをありがたく思う。
蘇州市は江蘇省の中にある。約8490平方km。人口は1050万人。2500年以上の歴史を持つ。臥薪嘗胆ということばがあり、呉越同舟ということばがあるが、いずれもこの地帯の歴史にその由来がある。蘇州は春秋時代の呉の都だった。当時から名前も変わっていない。「南船北馬」というが、中国の南方地方は川が多いので、船便が発達した。我々が8月7日の夕べに遊覧した川は白楽天が掘ったという。
白居易 (772年~846年、字名は「白楽天」)は、西暦800年、29歳で、当時の国家公務員の上級職試験の「進士科」に及第し、803年中央官僚採用試験に合格して、役人となった。
西暦800年代前半に、江南地方の「杭州」と「蘇州」の二つの都市で、地方官である「刺史」(長官)として勤務している。
呉とは、中国の江蘇省の長江(揚子江)以南の地方を言い、中国歴史上、呉の国は2度君主国家となった。呉の人々は戦災や敗戦の混乱を避けるために2600~ 2400年前と1800~1700年前の2波にわたりに大挙日本に渡来して来た。呉の国からの渡来人がその織物を伝え、広がった。(ブログ記事による)
呉服とは何か。呉服(ごふく)は、和服用の織物の呼称の一つで、特に絹織物を指す。反物の称。呉織・呉服(くれはとり)と呼ばれていたが、後に音読され「ごふく」と呼ばれるようになる。呉の国から日本に伝わった織り方によって作られた反物に由来し、綿織物や麻織物を意味する太物に対し、絹織物を意味する語として使われるようになった。『世説故事苑』によれば応神天皇の時代に伝来した。(Wikipedia)
寒山拾得(かんざん じっとく)は、中国江蘇省蘇州市楓橋鎮にある臨済宗の寺・寒山寺に伝わる風狂の僧、寒山と拾得の伝承。(同上)
ここまで記してきて、蘇州という土地が歴史的に、産業的に、文化的に、政治的に、国際関係的になど、さまざまな意味で、尽きることない探求課題であることがわかってくる。本項としては、これでとどめることにする。
(2)江蘇省教育庁訪問の概要
(施氏と王氏の発言は、通訳担当者の日本語訳による)
施氏:ようこそおいでくださいました。この頃暑い毎日です。日本も暑いと聞いております。熱い思いでお迎えします。
簡単に江蘇省を紹介します。江蘇省は国の直轄市です。面積は10.26 万k㎡、
人口は8千万人います。広さでは、国土の1㌫、人口では国の6㌫、GDPでは、
国の10㌫を実現しました。
教育では、中国においても、実力のある省です。小学校から大学まで、教育機関は
1万4千校あります。生徒・学生数は1千3百万人。大学は167校あり、そのうち、
15大学は特に全国の上位100校に入ります。北京に次ぐ2番目です。
教育の国際協力については、351の国際協力関係を持っています。2017年、
182カ国から約4万人の学生が江蘇省で学んでいます。
世界に、孔子学院は132校あり、中国のことばと文化を伝えています。イギリス、
アメリカ、オーストラリア、カナダには、教員研修基地を作りました。
これまで2万4千人の教師を派遣しました。
日本との交流では、ここ数年、江蘇省教育関係者の訪日研修をJICEと協力して実施
しています。今年も1組派遣する予定です。愛知工業大学と提携していましたが、双方
の人事異動などで残念ながら中断しています。
私たちは日本の基礎教育に関心があります。私自身も訪日研修に参加したいと思って
います。
お互いにメリットを取り入れるべきだと思います。
江蘇省には13の都市があります。南方の都市には特に長い交流の歴史があります。
日系企業も多くあります。
豊田氏:おはようございます。全国国際教育協会事務局長の豊田と申します。退職してから13年になります。73歳になります。現役のときは世界史を教えていました。その世界史のなかの3分の1くらいは中国史です。そして、その最初の頃に六朝時代のことを教えています。去年、東京の池袋で六朝展がありました。写真や資料を見て、実際に行ってみたいと思いました。昨日、六朝博物館を見て、発掘品等を見て、感動しました。
今回初めて南京を訪問し、歓迎され、うれしく思っています。
・続いて、関、高田の二人も自己紹介とあいさつをした。増野氏からも、全国国際教育協会の紹介をした。
・その後、高田氏から、東京都内の高校で、江蘇省の高等学校と姉妹校提携を希望している学校があることを話し、施氏から、マッチングできるものがあれば、進めたいと応答があった。
・さらに、王部長から、江蘇省の国際交流について説明があり、日本との交流可能性を探りたいとの発言があった。
また、こちらからは、東京都教育委員会が発行した東京都の教育についての中国語版広報資料、文部科学省が発行した Basic Education という表題の英語版広報資料をお渡しした。
引き続き、意見交換などを行い、次のようなやりとりがあった。
・日本では道徳教育を導入したが、中国ではどうか。
施氏:モラルの教育、品性・徳育を第一位と位置づけている。価値観教育を入れている。
・東京都の教育では、教員の離職率を低くするにはどうすべきかが課題の一つである。教師になる学生のなかには、現場に行くと、学校格差、貧困格差などに対応できずに辞めてしまう者がいる。南京ではどうか。
施氏:貧困格差は中国にもある。江蘇省内部にもある。都市と農村にもある。教師にも他の仕事に転職したい者いる。それにしても、教師はいい仕事と認められていて、辞める人は少ない。豊かな地へ、いい学校へ、異動希望者は多い。それに対して、いい学校から貧困地域へ異動させるようにしている。人事は教育委員会が行う。
・教員の給与は他の職業と比べてどうか。
施氏:中国では他の公務員よりやや高い給料になっている。他の職業と比べていいほうです。
・伝統や文化について中国の教師はどうか。
施氏:中国も同じ問題を抱えている。伝統文化がわからない若者が多い。地域の歴史、文化を学ばせるようにしている。
・伝統を世代で受け継がせているか。
施氏:各学校では先輩から後輩に意識的に、若手教師に教えている。先輩教師を伝統文化
を受け継いでいくための教師にしていく意識が大切であると理解している。
・パワハラとかが日本では問題になることがあるが、中国ではどうか。
施氏:中国では、先輩教員から後輩教員への教授・伝承はパワハラと認識されるのは稀である。
・小中学校では女性校長はどのくらいか。
施氏:小学校では女性校長多い。我々も意識的に教員採用では男子を採用しようとしている。
扈氏:江蘇省は愛知県豊橋市の桜丘高校と姉妹校提携をしている。
施氏:江蘇省のスポーツに関心のある学校に、姉妹校提携の意欲があるか、紹介したい。江蘇省の教育は東京都と交流、連携を強めたい。連絡はどうするのがいいか。
増野氏:JICEの増野を窓口とする。
(3)おわりに
・今回の訪問旅行が実施されるに至った経過は、昨年2017年3月24日(金)に東京・大塚にあるホテルベルクラシック東京・3階シュノンソーにおいて、中国六朝文化写真展・講演会が開催されたとき、講演を聴き、資料や写真をみせていただいたことが始まりと言ってよいだろう。(そのときの様子は、このホームページに、豊田岩男氏の報告記事があるので、ご参照いただきたい)
直接のきっかけは、今年6月、我々のNPO月例会議を終えた後、山野理事長との懇談の席で、改めて江蘇省との交流事業の様子や可能性について説明を受け、歴史や文化にも話が及び、実際に行ってみることを薦められたことによる。
・今回は江蘇省という一つの省を訪問しただけであるが、特に次の時代を担う若い人たちの
相互交流を増やし、相互理解を深めることが重要だと認識した。また、中国の人々の活気あ
る日々の暮らしぶりを見ることができてよかった。
・3泊4日というごく少ない日数の訪問であったが、山野理事長はじめ江蘇省の皆さんのご配慮、お世話のお蔭を以て実に多くのことを学ぶことができ、楽しく、意義ある旅行となった。心よりお礼申し上げたい。
・街路でも、建造物の中でも、「社会主義核心価値観」という標語をしばしば目にした。
南京駅にあった例をもとに、その内容を紹介しておきたい。
社会主義核心価値観
国家 富強 民主 文明 和諧
社会 自由 平等 公正 法治
公民 愛国 敬業 誠信 友善
人民有信仰 国家才有力量
用字は一部簡体字が使われているが、ここには、すべて繁体字で表記した。
薜さんに教えていただいたところによれば、敬業の業は職業のこと、国家才有力量の「才」は、日本語の「こそ」の意味で、国家に力量が有ってこそ、だという。
日本のありかたといろいろ対比検討するに値するのではないか。
(関 正幸)