ヨルダン報告12 2004年3月
前回,「次が最後」と言いましたが,つい先日,ユニークな体験をしたので,短い報告を挿入させてください.みなさん,とても多忙なご様子.こんな悠長な報告を読んでもらえるか,心配です.
3月4日,木曜日のことです.このところアンマンはTシャツでも外を歩けるくらいのポカポカ陽気,今日はムタ大学での講義もないことだし,ということで,朝からアンマン西方のイラクアルアミールという遺跡を訪ねることにしました.前回の報告でも述べたように,最近,近隣の行き残した旧跡を訪ね歩いています.
まずはタクシーで地図に地名が書いてあるところまで行き,ウロウロしていましたが,なかなか見つかりそうもありません.仕方がないので,「サラマレイコン」とあいさつをして,店の前にたむろしているお兄さんたちに聞くことにしました.ちなみに,最初のあいさつをアラビア語でするかしないかによって,その後の対応が全く違ってきます.写真を見せながら「ここに行きたい」と言うと,「自分はタクシーの運転手で場所を知っている.ここからさらに11kmある」と言います.本当かどうか,少し怪しいと思いましたが,とりあえず彼の言うことを信じて,料金の交渉に入りました.結局,ここから往復,5〜600円程度で折り合いが付きました.
さあ出発かと思っていると,「その前に家に寄ってお茶を飲んでいけ」と言います.多少の好奇心もあって,私はこの招きを受け入れることにしました.それほど裕福そうではありませんでしたが,家の中はこぎれいでした.回りにマットを並べた応接室には家の主,つまり運転手の父親がどっかと腰を下ろしていました.
そこで驚いたのが部屋に飾られている写真です.まずサダムフセインの大きな写真が2枚.びっくりしている私を見て,主人はニコニコしながら「フセイン」と言ってうなずいています.その様子から,明らかに彼がフセインを崇拝していることがうかがえます.次に目に付いたのは,塀際にうずくまるパレスチナ人父子がイスラエル兵に射殺されていく場面を映した数コマの連続写真.一昨年だったか,フランスのテレビ局がこのショッキングなシーンの一部始終をカメラに収め,何度かテレビでも放映されたので,私も知っていました.家の主人は「イズレイリ」と言いながら銃で撃つしぐさをします.我々の常識では人をもてなす場所にはあまり相応しくないと思われる写真,でも主人はイスラエルに対する憎しみを風化させたくないのでしょう.
一族の誰かがアラファトと一緒に撮った写真もありました.おじとか言っていましたが,一族の誇りなのでしょうか.それ以外にエルサレムや故郷ヘブロンの写真(一家はヘブロン近郊の村から逃れてきたそうです),国境のないパレスチナの地図など.ハイファを指して「イズラエル」と言ったら,「ノー,ノー,パレスタイン」と怒られてしまいました.
日本人が珍しいのか,好奇心旺盛にみんな集まってきて,順に紹介.兄弟は全部で5〜6人で,アンマンのホテルで働いている弟もいました.ただ,平日の昼間(午前10時ごろ)なのに家族全員が顔をそろえていることを考えると,パレスチナ人の就業率はあまり高くないと思われます.高校生くらいの女の子もいましたが,学校はどうなっているのかと不思議に思ってしまいました.その後,お茶とコーヒーに朝食.決して豪華ではありませんが,心のこもった手料理でした.特にエジプトの何とかという野菜を油で揚げたものはたいへん美味でした.
私は自衛隊のイラク派兵について聞かれるのでは,とびくびくしていました.結局,最後まで話題にならず,彼らが日本人に反感を持っていないということを知ってホッとしました.たまたま通りすがりに訪ねたパレスチナ人の難民家庭.でも彼らの平均的な生活状況や心情を知るには十分です.そして,この国の人口の6〜7割が彼らのようなパレスチナ難民によって占められています.
1時間くらい歓待を受けてから,その家を辞去して,本来の目的であるイラクアルアミールへと向かいました.タクシー運転手の言葉に偽りはなく,すばらしいところでした.アンマン近郊にこんな桃源郷があるとは思いませんでした.今は1年中で最も緑が多い季節,周囲の山々には草や木々が生い茂り,谷間には小川が流れ,遺跡の周りで子供たちが遊んでいます.このとき私は旧約聖書に記されたカナン,「乳と蜜の流れる」約束の地が決してうそではなかったと確信しました.遺跡を見学してからアンマンの自宅まで送ってもらい,朝食代とチップも含めて約束の倍くらいのお金を渡しました.

イラクアルアミール