いよいよ帰国が近づいてきました.どこの大学も1月の学期末試験のあと休みに入り,もう仕事はないかと思っていたところ,最後になって,またムタ大学から依頼がありました.新学期早々,初心者向けと中級者向けの講義を平行してやってほしいとのこと.今までは工学部だけでしたが,今度は理学部の学生も対象です.2月23日から5週間,週2回,帰国直前の3月24日まで,通い慣れた南部のいなか町に最後の出張講義に行ってきます.ヨルダンを発つのが3月29日,日本に着くのが3月30日の予定です.
先日,何と地震がありました.震度は3くらいで,日本でいえばそれほどの大きさではありませんが,まさかヨルダンで地震にあうとは思いませんでした.突然,ドカンと来たので,一瞬,爆弾テロかと思ったくらいでした.ヨルダンはもともと地震が少ないところで,職場で聞いてみると,かなりの年なのに地震をはじめて経験したという人もいたくらいです.
3月15日にフリーのフォトジャーナリストを呼んでイラク・アフガニスタンに関する講演会を開くとのこと,日本にいればぜひ聞きに行くところです.ヨルダンにいるからといって,隣国イラクについて,より多くの情報が入ってくるわけではありません,日本で得られる以上の情報は手に入りません.しかし,イラクで起こっていることに対するアラブ人一般の反応については,直に接しているわけですから,日本にいるよりははるかによく知ることができます.
日本の自衛隊派遣については,こちらのほとんどの人が快く思っていないようです.私への配慮からか,多くの知人はその話題を避けてくれます.しかし,敢えて話題にして問い詰めてくる血気盛んな若者もいますし,タクシー運転手から非難されることもあります.日本の自衛隊派遣を歓迎する,もしくは期待するといった意見を一度も聞いたことはありません.
一般のアラブ人が日本の自衛隊派遣を快く思わない理由は十分に推測できます.まず99%のアラブ人が反イスラエルだという事実があります.そして,ほぼ同数のアラブ人がアメリカを嫌っています.だとしたら,アメリカの要請によって自衛隊を派遣する日本を快く思うわけがありません.アラブにおいて,アメリカは嫌われても仕方がない理由があります.アメリカは「ダブルスタンダード」と呼ばれる極端に親イスラエルの政策を採っています.ほぼ公然になっているイスラエルの大量破壊兵器には目をつぶりながら,イラクに対しては大量破壊兵器を排除するという名目で戦争を仕掛けました.多くのアラブ人にとって,アメリカの態度はイスラエルに対しては甘く,アラブに対しては厳しい,つまり不公平であると映っています.今や戦争の大義名分すら崩れ始めています.開戦当時,イラクの大量破壊兵器はすでに破棄されていたらしいということを当のアメリカ自体が認め始めています.
しかし,日本の自衛隊派遣についていうと,他国のアラブ人とイラク人との間には微妙な温度差があるように思えます.というのは,このところ何回かBBCのWebページで「日本の自衛隊がサマワで歓迎されている」という好意的な記事を読んだからです.私のこちらでの主要な情報源はBBCのテレビニュースとWebページですが,私は偏向しないニュースソースとしてのBBCを信頼しています.たとえば,自国のブレア首相がイラクにおける大量破壊兵器の脅威を誇張することによって開戦を正当化しようとしたという話を暴露したのもBBCです.その結果,秘密漏洩問題でドクター・ケリーの自殺という不幸な事件も招いてしまいましたが.
BBCだからというわけではありませんが,周辺のアラブ諸国とは異なり,サマワにおいて「日本の自衛隊が歓迎されている」というニュースにはそれなりの信憑性があると思います.特にサマワが位置するイラク南部はシーア派イスラム教徒が多い地域で,スンニ派のフセイン体制からはたびたび過酷な弾圧を受けてきました.昨年の戦争後,イラクに入ったという何人かの日本の報道関係者から「フセインがいなくなって喜んでいる人がこんなにいるとは思わなかった」という話も聞きました.それに,たった今,非常に不自由な生活を強いられているイラク人にしてみれば,どんな援助でもほしいという切実な期待もあると思います.
以上のことは私の推測の域を出ません.私としてはぜひ実際にイラクで活動されている方の意見を聞きたいところです.忘れなかったら,誰かかわりに質問してみてください.
アラブの民衆の間では,アメリカに敢然と立ち向かったフセインに対する人気は根強いものがあります.先日,乗ったタクシーの運転手は,私が日本人だと分かると,やにわに自衛隊派遣を非難し始めました.見ると運転席にフセインバッジの付いたイラク国旗が飾ってありました.彼はイラク人でしたが,「アラブのヒーロー」としてフセインに好意を寄せるパレスチナ人は今でもたくさんいます.
こちらにいると,政治と無縁でいるわけにはいかないという状況を強く感じます.大学に行けば学生に,タクシーに乗れば運転手に,至るところで政治の話を持ちかけられます.ヨーロッパを旅しても,ガイドとまたは土産物屋の主人と話し込めば,すぐに政治の話になります.政治の話になって自分の意見を言えないことは,自分は愚か者であると宣言することと同義です.我々が学生だったころ,あれほど「政治的」だった日本人はどこに行ってしまったのでしょうか.今の日本では政治について話すのが後ろめたいような雰囲気さえ感じられます.日本は政治と無縁でいることが許されるほど平和で豊かなのでしょうか.
最近,ビデオでですが,「アラビアのロレンス」と「十戒」を見ました.どちらもヨルダンの砂漠やシナイ山,ネボ山など,身近な場所が舞台なので,とてもリアルに感じられました.「十戒」で悪役になるファラオのラムセスも,カイロで実物のミイラを見たばかりでした.実は1月末にカイロに行ってきました.あまり大きな声ではいえませんが,昨年10月にこちらに戻って以来,3回も外国旅行をしてしまいました.
こちらで「アラビアのロレンス」が話題になることはほとんどありません.先日,アンマンの殉教者記念館(いわゆる戦争博物館)を訪ねたところ,オスマントルコに対する「偉大なアラブの反乱」のコーナーはありましたが,特にロレンスに関する記述は見当たりませんでした.誰かアラブ人と一緒に写っている彼の写真はあったように思います.アラブ人にとってはロレンスも自分たちを欺いた人間の一人のようです.
「アラビアのロレンス」に出てくる王子,ファイサル一族のその後の運命は国際政治に翻弄されるアラブを象徴しています.その後,英仏の意向によってイラク国王になった彼の末裔はフセインによるバース党のクーデターによって殺害されてしまいます.今日のアラブの混乱を招いてしまった究極の原因は英仏の植民地政策にあったと思います.
ヨルダンを去る日が間近に迫り,時間があるときはアンマン市内の行き残したところを歩き回っています.殉教者記念館もその一つですが,アンマン市内を走る鉄道の軌道を歩いたりもしました.オスマントルコが建設し,ロレンスがたびたび爆破した鉄道が今も残っています.ただし,写真は1年前に撮ったもので,アンマン駅構内に停車するダマスカス行きの「国際」列車です.機関車に続く最初の2両が客車で,残りは貨車です.もう一枚の写真はダウンタウンの裏山にある白黒模様のモスクです.こちらは最近のものです.
ちょうど1年前になりますが,写真の列車への試乗も忘れられない思い出です.家畜でももっとましなところにと思えるような客車,車輪の振動が直に伝わってくるシート,線路に転がるドラム缶を蹴散らしながら疾走する機関車,おもしろがって列車に石を投げる沿線の子供たち,それに向かって怒鳴り散らす運転手.ゴミがたまっていると,運転手が機関車から降りて自分で線路を掃除することもありました.北方の町マフラックまで2時間,いかにもいかにもアラブ的な旅でした.
次回,最後のまとめの報告をするつもりです.3月15日の盛況を期待しています.

ダマスカス行き「国際」列車 アブダルウィッシュモスク