ヨルダン報告7 2003年6月

 国際研のみなさん,お元気ですか.久しぶりのヨルダン報告をお送りします.
 5/11(日)にヨルダンに戻りました.みなさんと研修会で会ったのは3月でしたから,あれから2ヶ月近くも日本にいたことになります.2月末の健康管理帰国からそれに続くイラク戦争退避の間,なるべく日本的なものに触れようと努めました.今日の政治,経済,社会状況において,日本を賞賛する材料はほとんど見当たりません.しかし,伝統的な文化や風土という面では話は別です.決して捨てたもんではありません.それどころか,世界でもまれに見るユニークで貴重な文化に出会うことができます.特に長期の異国生活から戻ってみると,改めて日本文化の独自性を認識します.那智の滝,奈良興福寺の仏像,羽黒山の五重塔,水郷佐原の古い街並み,横山大観の日本画,北斎や広重の浮世絵など,日本滞在中に見たものはどれも地球上の他の地域には決してない繊細な表情を備えていました.ちょうど桜から新緑に移る季節.山里を走るローカル線の車窓から見る風景,木々の葉の微妙に異なる色彩.特に山桜が混じるときに生まれる絶妙な色の混合.日本文化の繊細さはこのような自然の多様性が育んだのでしょう.
 ところ変わってドバイからアンマンへ向かう飛行機.空港に近づくにつれて見下ろす赤茶けた大地.どこまでも続く単調,日本で見た風景とのあまりの違い.「ああ,また砂漠に戻ってきたんだ」というのが,ため息とも感慨ともつかない最初の実感でした.
 戦争後のアンマンは意外なほど平静でした.戦争前と変わらない生活が続いているようでした.職場のアラブアカデミーに行ってもみなさん歓迎してくれて,戦争のことはほとんど話題になりません.対日感情が悪化しているという印象は全く受けません.戦争中,日本が米英を支持したので,少しは批判も覚悟していたのですが,拍子抜けといった感じでした.
 ヨルダンは平穏でも,周辺の国々は違います.日本ではもう忘れかけているかもしれませんが,こちらの新聞では戦後のイラクについて,かなり詳しく報道されています.確かにフセインがいなくなって喜んでいるイラク人もかなりいるようです.しかし,戦後のアメリカやイギリスによる復興は思うように進んでいないらしく,治安もかなり悪化しているようです.当初はフセイン体制の終焉を喜んでいた人たちの間にも反米感情が高まり,最近では駐留米英軍に毎日のように人的被害が出ています.終結宣言以前における戦争そのものによる被害に匹敵しそうな勢いです.
 このところヨルダン国内で2つの重要な会議が相次いで開催されました.アカバでの中東サミットと死海リゾートでの世界経済フォーラムです.もともとヨルダンにはパレスチナ問題に深く関わらなければならない道義的な理由があると思います.1967年の第3次中東戦争後,ヨルダンは当時自国領だったウエストバンクの領有権をほとんど停戦交渉も行わずに放棄してしまいました.このことがこの地域を悲惨な状態に陥れた原因の一つになっているからです.中東サミット以後,一時的に以前にも増して,テロが頻繁に発生するようになり,パレスチナ和平は瀕死の状態に陥りました.そもそもブッシュは和平の仲介役に相応しくないように思えます.アカバサミットのとき,ホテルのプールサイドでシャロンとアバス(パレスチナの新首相)を両脇に長椅子にそっくりかえってくつろぐブッシュの姿がBBCに映し出されていました.あの横柄な態度に不快感を感じた人は世界中に限りなくいるでしょう.
 しかし,世界経済フォーラムの後,状況は持ち直しつつあるようです.個人的にも,パレスチナ和平の実現は強く望むところです.今や双方の存在を否定することは全く非現実的です.聖なる地におけるパレスチナとイスラエルの共存しか解決策はないはずです.以前にも述べましたが,アラブアカデミーにはパレスチナからの留学生が数多く在籍しています.彼らは和平が実現したらと前置きしながら,いつもパレスチナに来るように誘ってくれます.彼らは今でもこの危険地帯との間を往復しています.ウエストバンクにはイーストバンク(要するに今のヨルダン)よりもずっと多くの文化遺産があるそうです.エルサレム,ベツレヘム,ジェリコ,……,キリスト教徒以外をも郷愁に誘わずにはおかない地名が目白押しです.
 仕事のほうは順調です.こちらに戻ってから,2つのまとまった講義をしました.まずアラブアカデミーでの集中講義は5/21(水)から始まり,6/4(水)に終わりました.学期途中での募集だったせいか,学生はスーダン人が1人だけ.でも,たいへんまじめで優秀でした.この勉強熱心なスーダン人は1冊だけ持ってきていた私の本を見て,どうしても欲しいと言い出しました.これだけなので少し躊躇しましたが,それほど欲しいのなら,ということで,結局,サインして彼に渡しました.同じイスラム教徒でも,アフリカ出身の黒人はアラブ人のように見栄を張ったりすることがなく,自分の気持ちをストレートに表現してきます.
 2月に引越ししたアラブアカデミーは郊外の砂漠の中にあり,タクシー,スクールバスを乗り継いで,片道1時間以上かかります.写真を添付しますが,建物はこれだけで,国立のジョルダン大学やムタ大学に比べると,敷地面積は1/100以下です.周囲は砂漠です.
 一方,5月下旬には昨年末に講義に行ったカラク近郊のムタ大学から新たな要請を受けました.今度の要請内容は初心者を想定した初歩からの講義で,ありがたいことに,学生からそのようなリクエストがあったとのこと.要するに前回の講義は難しくてよく分からなかったので,もう一度,基礎から教え直してほしいということだったようです.私も昨年の講義では学生たちがあまり理解していないらしく,そのことが気に掛かっていたところ.その意味でもすすんで引き受けることにしました.ただ,全くの基礎から教えるのは初めての経験だったので,かなり念入りに準備しました.
 ムタ大学への出張講義は,2日の事前準備も含めると6/9(月)に始まり,6/23(月)まで合計10日間に及びました.全体を14のテーマに分け,1日に2テーマずつ7日で完結し,最後の日は試験としました.準備に行くと前回で顔見知りの女子学生が2人,手伝うというのでわざわざ待っていてくれました.2学期と夏学期の間の休み中にもかかわらず,学生たちは非常に熱心.ムタよりさらに南方のベドウィンの村から1日2本しかないバスで通ってくる女子学生,逆に北方のイルビットからアンマンを経由し,バスを乗り継いで来る男子学生など.こちらもできるだけのことはしようという気になります.
 その甲斐があってか,今回の講義は出席率もよく,最後の試験には20名近い受験者全員が合格.これまでの中で最も満足のいく講義になりました.実はこれまでの講義では中途での脱落者が多く,教え方がよくないのでは,と悩んでいたところでした.教えるときはできるだけ分かりやすくていねいに,これは世界中どこでも共通のようです.しかし,体のほうは大変でした.大学のほうでゲストハウスを用意してくれたのですが,シャワーは使えないし,台所も汚く,結局一泊しただけ.ほとんど毎日,片道2時間以上かけてアンマンから通いました.
 以前から不思議に思うことがあります.アラブアカデミーでもムタ大学でもそうですが,この地域の人は学生時代にはあれほど熱心なのに,就職すると急に怠惰になります.その変わり方が極端です.理由はこの社会をがんじがらめに縛り付けている血縁,地縁の関係にあるように思えます.どんなに優秀でも,コネがないとまともに就職もできません.そんな中で若い人たちは次第にやる気を失い,日常に埋没していきます.この状況を解体しないと,この国の発展はありえないのですが,それは至難の業です.その意味で「イスラムは後進的」という批判はある程度は当たっているように思います.
 最近,我々の仕事は日本のプロ野球やJリーグに来る助っ人外人に似ているのではないかと思うようになりました.よく言われることですが,助っ人で成功する外人はみな余計なプライドを捨て,日本の社会になじもうとした人たちです.逆に自分は大リーグでこんなに活躍したのだから尊敬されて当然,というような顔をしている選手はことごとく失敗し,日本の習慣に悪態をつきながら故国に戻っていきます.これと同じように,日本でこんな役職についていたのだから,というような態度を捨てられない人は,途上国へ来ても,なかなか仕事が軌道に乗りません.
 世の中に本当に尊敬に値するような人間はそう多くはいません.自分は偉いと錯覚している人,もしくはそう思われたいという人はかなりいますが.特に日本人には多いかも.これまでの報告の中で,私は何回か,この地域には見栄を張る男が多いと書いてきました.しかし,彼らの見栄はほとんど嫌味を感じさせません.淡白でどことなく見え透いています.その理由はこの地域の人々の態度が基本的に諦観,すなわち神という自分以外の絶対的権力への恭順に基づいているからでしょう.
 7月のはじめには1週間ほどスコットランドで休養する予定です.できれば鉄道で北のほうまで行って,中東の砂漠とは違った荒涼を見てきたいと思っています.帰ったら7月中旬からアラブアカデミーで初心者向けと上級者向けのコースを平行して持つつもりです.添付写真は建物がアラブアカデミー,それ以外はムタ大学での授業風景です.

芹沢



アラブアカデミー新校舎





国立ムタ大学での授業風景